全然関係ないけど、カイ・シデンを逆に書いてみると、シデンカイ…………紫電改……な、なんだってっー?!w
機動戦士Zガンダム デイアフタートゥモロー カイ・シデンのレポートより (2)
- 作者: 富野由悠季,ことぶきつかさ
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2007/01/26
- メディア: コミック
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閑話休題。
Ζ時代の裏側をカイを使って描く、という内容なんだが………1巻も良かったんだが、2巻は更に輪をかけていい。
ことぶきつかさ、というと、「いけいけ!ぼくらのVガンダム」、特に「アッガイ・ファイト」「ジュンコさーん、死なないでくださいー」「おやおやどうしたんだい?」「ウッソくーん、こっちのおちちはあまいわよー」「超ムカツク。種撒いちゃうから」「カテ公」が思い出される私はもう(ry
けど、本来はこういう話を書くのがうまいなあ、と。
特に、アムロとクワトロの描写が対比してあっていい感じだ。
「ジオン・ダイクンの意志を継ぐ男の開発したMSを連邦軍の元英雄が駆る…か」
「アムロ自身ようやくガンダムという呪縛から逃れることが出来そうなんだ。(中略)自分を取り戻せたときには奴は自分でガンダムを求めることだろう。逆にシャアは今の自分にその名を名乗る自信を見失ったから赤い機体に乗るのをやめたのさ…」
この解釈はなかなかすごいなあ、と。
Ζの内容がこの部分に集約されている、といっても過言じゃあないか、と。
そしてシャアの独白も、ざっくりと彼が何故「クワトロ・バジーナ」という偽名を用いた心情というのを表現している。
だけど、クワトロとしてのシャアのこの発言には同意せざるを得ないものがある。
「行動を起こす事のリスクというものが今の私にはとても怖いのだよ。年をとって臆病になった…」
(中略)
「期待に応えられない男の…せめてもの償いと取って貰えればありがたい」
若いときに出来たことが、年をとって出来なくなってしまう。
そんな衰えを実感してしまうと、新たに何かを始めよう、というより、既存の何かを利用した方がいい、と守りに入ってしまいたくなる。
そして周囲がそれを期待すればするほど、それを重荷と思ってしまう。
けど、しなければならない。
なんかそういった色んな意味での「生きた」というのを感じざるを得ないか、と。
色んな意味で、身に染みいる作品でした。