Bartonの日記+c

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最近、いろんなリンクから来ていただいてありがとうございます。
こんなへっぽこ日記を読んでいただいてありがとうございます。
読まれた方の日常の精神的潤滑油にでもなれば、と。
もうホントいろんなメジャーどころ(伊藤浩一のW-ZERO3応援団さんuse.willcomさんRinRin王国さん)にリンクされまして、こんなへっぽこな内容で、どうすればいいものやら、と。
恐縮しきりです。
今後は、もちっとましなよーになるよう精進いたしますです、ハイ。


鉄道模型を〜」の件については、結構見られたみたいで。
この件、ちょっとだけ引っ張らせて貰います。
どうやら本スレの方は落ち着いたみたいで、自分語り・ループ状態になっている模様。
けど、もうこれはいくら言っても取り返し付かないしね。
一ヶ月前の話だし。
鉄道模型やっている人に渡って、その人に大事にされている、ということを祈るぐらいしかないわね。
ただ一つ救いがあるとするならば、この話をきっかけに自分と物のあり方、というのを見つめ直す、ということを多くの人が出来た事じゃあないかな、と。
4スレめの890で、「バイクの新品より今まで使ってきた方がいい」というも、すごい心情的に判るんだよねえ。
ただ、バイクとか車の工業製品はねえ………下手すると、新型の方がいろんな意味で燃費や性能いいからねえ。
これに関しては、悲しいけどね。
けど、それでもそういう思い入れが出てしまうのは、すごく判る。
だから、いずれは製品寿命が来て、分かれるときが必ず来る。
会うは別れるの始め、って。
だからこそ、その間をどう過ごしたか、ということが大事になるんじゃあないかな、と。
十分な事してあげれたかな、大事にしてあげれたかな、と。
これは物だけじゃあなく、人間関係でも同じ。
だからこそ、一期一会、という生きてくるんじゃあないかな、と。

私は前回バーチャロンが好きだ、と書いたけど、多分いずれはどこかで卒業するときはやってくると思うのですよ。
じゃあその時、その共に過ごした時間をどう思えるのか、と。
最後に「よかったね。おもしろかったよ」と言えるのががきちんと言えて卒業できたら一番いいな、と。
そんなことを、考えた。
他にも、無意識に身につけている定期入れとか、そういうのもね。
一昨年ぐらいかな、革製の定期入れを10年以上で変えたのだが、もう既にすごいぼろぼろなんですよ。
一度だけ落ちて、行方不明になったこともあるんだけど、無事に中身と一緒に戻ってきた。
でも、それをゴミ、として捨てる気にはなれなくって、箱に入れて神棚に祀ってある。
なんか捨てられないんだよね。
中学、高校、大学、社会人としてずっと見てきた物であるわけで。
そんなことを思い返してみたり。