もし碇シンジが熱血だったら
そんなのシンジじゃねー!! と言って泣き出す碇ゲンドウw
妙に熱血な碇ゲンドウやゼーレも面白いかもw
「シンジ!! エヴァに乗れ!! 使徒を倒すんだ。そして、セカンドインパクトを食い止めるんだ!! 今、お前がやらないで誰がやる!!」
「そんな……父さん、ムリだよ!!」
「リツコ!! シンジをエントリープラグに詰めろ!! 後はどうとでもなる!! 構わん!! 総員第一種戦闘配備!!」
「そ、そんな、……指令!! 無茶です!!」
『使徒、本部直上300に接近!! 第8ブロックまで融解!! A.T.フィールド、依然健在です!!』
「5分後に初号機を12番エレベーターより射出後迎撃!! かかれ!!」
何のアニメだよ、これw
つまり頭がいいってどういうこと?
………54やってよ…………
…………聞くな…………orz
学生時代 いじめられてた奴ちょっと来い
そう、これはされた方じゃないと痛みは判らんのだよ。
クラスで一人、とか、無視されたり、とか、大事なものを壊されたり隠されたり、とか、そういう痛みを感じた人でないと判らないと思う。
そういった痛みを判らないから、際限なくエスカレートする。
4月から男塾に通う事になった
エリート街道まっしぐらだぜw
人前で子供に言われて焦った無邪気な一言!
無邪気って言うのは、悪意がないから、…………ねえorz
鉄道模型を捨ててから、夫の様子がおかしい
これは酷すぎる。
もう、旦那さんは無気力になってしまったんじゃあないかな。
俺もこんな事されたら、昔だったら「なんでそんな事するんだよっ!!」とぶち切れモード突入なんだが、なんか、こうやるせない、取り返しの付かないものが。
16も指摘しているとおり、「二人で新しい趣味を」なんていってそう簡単になるものか。
頭で理解しても、心と体がそれを許さないもんだ。
多分俺だったら、十日ほど引き籠もって口をきけなくなるかもしれない。
会社とかに行っているかもしれないけど、多分そんな状態じゃあないかな。
よく口から生まれたような男だ、とか、こういう駄文を巻き散らかす男なんだがw
旦那は、41の言うとおり、もう収集じゃあなかったみたいだしね。
多分もう何も言えないんだと思う。
何か言っても、取り返しが付くわけでもないし、どうにかなるような状態じゃあなくなったもの。
鉄道模型の趣味は俺はよく判らないけど、俺も収集癖みたいなものはあって、世界は違うけど、何となくやっていることは心情的には判るつもりだ。
コメント欄の36の言うとおり、もう嫁が怖くって、何も出来ない、持ちたくないと思うし、顔色をいつもうかがっていく、という事になるようにしちゃったもの。
それほど酷いことをやったと思う。
他人から見たら、がらくたみたいなものでも、本人にとっては、とっても大事なものっていうものがあるわけで。
例えば私なんかだと、今すぐ思いつくのは、以前から書いているとおりバーチャロン大好きっ子でw
バーチャロンフォースが大好きなわけですよ。
ええ、あのセガのカードゲーのはしりなわけなんですが。
あのカードを全部捨てろ、って言われたら、ムリ。
あれは単なるカードじゃあないんだよね。
ずっと続けてきた記憶の固まり(の触媒、かな?)でもあるわけで。
やり始めてからの4年間の記憶、
初めて勝ったときのこと、
一緒に組んでくれる仲間に怒られたこと、
相方や周囲の人達に褒められたこと、
負けて悔しかったこと、
二人一緒に組んで連勝したときのこと、
初めてエンディングを見たときのこと、
間一髪で勝ったこと、
新しい技術や戦い方を学んだときのこと、
いろんな事を自分も中で持っているわけで、これを突然ぶった切られたら、俺は多分………
改めて考えてみたら、よー4年間やってきたわ、と(苦笑)
まあ、たかがゲーム、たかが鉄道模型、とか言うけど、そういうんじゃあないんだよ。
その物に込められた自分の記憶と共にあった時間、それを理不尽にぶった切られたらどう思う?
別にこれゲームとか、模型じゃあなくてもいい、自分にとって大事なもの、服、バッグ、パソコン、車、楽器、ペン……なんでもいい。
自分の相方として、ずっとそばにいてくれた、やってきてくれたものを斬られる、ってどう?
以前、村上龍の「全ての男は消耗品である」というエッセイにあったんもだが、F1の二つの映画の話があった。
一つは事故シーンばかり集めて編集した映画。
一つはあるF1ドライバーの事故で死ぬまでを描いた映画。
後者が何故泣けるのか、ということだが、前者はこんなことがあったんだ、というあくまでも驚きしかない。
後者は、そのF1ドライバーの生涯、幼少時、友人との語り合い、妻、子との幸せな時間、そういった物を見る人は知ってしまって、そのドライバーの生きてきた「物語」を識ってしまう。
その物語が涙を流させるのだ、というようなことがあった。
生きる、というのは、自分自身の物語を紡ぐ、ということの連続性であるわけで。
それを断ち切られる、断章しかない、というのはどうものなのだろうか。
このスレの続きを読んでみたんだが、推測でしかすぎないのだが、もしかしたら、その鉄道模型は爺ちゃん、婆ちゃんが元気なときに初めて買ってくれた物だったかもしれない、もしくはアルバイトで初めて勝った思い入れのあった模型もあったかもしれない、という書き込みがあった。
もしそうだったら、それすらも自分の別れることを意識させる間もないまま、断ち切られてしまったわけで。
それを考えると、胸が痛い。
やっぱり自分に関わってきた物でも、やっぱり最後までその物としての使命を果たして貰いたい、と思うから、それが判る人の物へ行って欲しいな、と。
例えば京ぽん。
3ヶ月前までは自分の手元で、あーだこーだと言いながらも一緒に楽しい時間を過ごせた機会だったし、このまま寝かせておくのはイヤだな、と思ったからこの間火を入れてきた。
今では実家で色々悩まされながらも可愛がられている模様。
パソコンやパーツとかでも、大事にしてくれるような人の所へ譲渡したり、とか。
物は5年使っていたら、魂が宿る、だったかな。
そういう考え方が日本にはあるけど、今は5年というのは長いような気もするし、もっと早い内に魂が宿る、という気もする。
そういう風に考えたら、これはあんまりだな、と。
魂の欠片を無断出来られたような物だし。
それに読んでいて思うが、これは夫婦のコミュニケーションじゃあないと思う。
コメント欄93に激しく同意。
奥さんは自分が楽になりたいから、許しの言葉が欲しいんだろうなあ、と。
それは、虫が良すぎるんじゃああるまいか。
なんか、イヤだな。
これは一生消えない過ちとして、背負っていくしかないと思う。
続きが気になる人は、↓こちら
鉄道模型を捨ててから、夫の様子がおかしい 4