うーん、これもどうなんかなあ。
あの富田メモもまだ全容が明かされていないわけで。
ただ、昭和天皇もねえ、それなりに思うことはあったのかもしれないねえ、と。
発言が影響するから好きな力士の名前すらも言わなかった先帝の人柄をボロボロに壊しているような気がしてならないね。
こういったお人柄だった、ということを踏まえると、何ともすぐには信じられんがな。
朝日新聞の選んだ時期ですね(粗忽にして迂闊だが露骨ではない)
つまり2002年2月から数ヶ月先には朝日新聞の手元にあった日記である。それが朝日新聞によって2007年4月26日に発見された。≪までに≫と書いてあるから2002年2月〜12月(?)も「2007年4月26日まで」に含まれるのか?
それと、何故朝日新聞社の手に? というのも気になるところだ。
右とか左とかという思想の問題ではなく、昨今の風潮を見ていると、特定の情報通信社にこういった公人の日記をゆだねる、というのはどんなものかなあ、と思わないでもない。
政治利用云々というのではなく、故人を偲ぶために、ならいいのだが、そうではない思惑で公表、というのが気に入らんな。