Bartonの日記+c

Bartonの日記のはてなブログ版。とりあえず書いてみるw

昨日の非モテ系の続きの考察みたいなようなもの

昨日ネタになった「彼氏が非モテで困っています(はてな匿名ダイアリー)」で、参考になるサイトを二つ見つけた。


「学習された無力感」というのがある。(アルファモザイクさん)


貧乳で恋愛が怖いです。(教えて!goo)


この二つを読んで、ふっと俺の中のミッシングリンクが連結された。
「貧乳で恋愛が怖いです」なんて言っているのは、何を眠いことを言っているのだ、と。
3回ぐらい修正してやっていいか、と。
「学習された無力感」なんて言うのは、すごく判るな。
身に覚えがありすぎて。
貧乳は自らの体と、友人・タレント・グラビアアイドルとを見比べるなどして視覚として認識が可能だから、悩んでいるというのならば自他問わず理解しやすい。
(もっともそれを口にするのは憚られるが)
それと比較して、非モテというのは社会生活の中で感覚として理解されていくものだから、外観からは、それがどのくらい本人の中で大きなものになっているのかが理解されにくい。

俺に言わせると貧乳なんて気にするような内容でもないし、それもありか、とw
胸の大小で女の価値が決まるとか言っている男なんぞ、漢じゃねえ。
グラビアアイドルなんて、いかに男の劣情をそそり立てるか、というのが商売みたいなもんなんだから、そりゃあ扇情的な雰囲気はあるだろ。
そんなのと競われても、と。
それにいざとなったら、底上げ、という(ry;以下自主規制
それに対して、非モテって、かなり複雑なものだからね。
カタチとして具現化できない分、やっかいだと思われる。
なんつーか、心が風邪と肺炎と複雑骨折をしてもーなんつーの、全然治らず立て直し利かないまま日常生活を送っている、といった感じで。
「鬱は心の風邪」とかいうけど、それが部分的に治らないままこじらせてしまった、という感がしないでもない。
で、非モテの分類というのはそれがいろいろな方向に向いてしまったわけで。
俺はそう理解している。
非モテって、一夜にしてなるものではなく、周囲の環境で自分の立ち位置を知っていく内に「ああ、俺って非モテなんだな」と。
そういう扱いなんだな、と。
コンパに呼ばれない、コンパに行っても空気扱い、クラスの中でぼっち、友人は男友達ばかり、ケータイに女の子のメールアドレスなんてない、バレンタインのチョコなんて義理すら貰ったことがない、クラス・職場の女の子からの視線・評価・扱われ方(都合のいい使われ方をする、それ以外が声もかけられない、感謝の言葉もない等)、エトセトラ、エトセトラ。
そんなものが積み重なって、澱みとなってしまう。
期間が長ければ長い分、その澱みは深い。
まさに積み重ねの「学習」である。
そして、それを自らの手で打破しようと試みて見るも、打破できずに「無力感」のみが残り、澱みをさらに加速させる。
結果、感情とロジックとして共感が持てる「非モテ」を受け入れ、支持することになる。
よく「最近の男の子は大人しい」「白馬の王女様を待っているんじゃあないか」なんていうけど、普段からそんな扱いされたら、そんな風になるのも無理ないわ。
とりあえず、その澱みをかっさらうしかないんじゃあないかな。
けど、それでも治らないかもね。
昔、奴隷が解放されたときに何をしていいのか判らない、という話を聞いたことがある。
それと同じで、心が止まっちゃっているんだろうなあ。


成功経験が人を育てる、というのは本当だな、と思う。
私も一時期失業していたときがあるのだが、面接が怖かった。
今でも怖いのだがw
そして就職が決まって、取り敢えず会社の電話を受け取ったのだが、電話応対の声が出ないのだ。
他の業務を含め何度か繰り返すことによって、業務を普通にこなせるようになってきた。
ほんの些細なことでもいいから成功経験を持たせることが大事なんじゃあないかな、と。
そんなことを思わないでもなかったり。